京都で女子大生していた

大学生してみて気付いた京都を紹介します

少しだけ、春。

こんばんわ。

今日は友達と念願のお店でランチして、お散歩。てくてく。


お散歩してるといろんなことに気づく。

あれ、この店変わったんだ。

清水焼500円やって!!

あ、春だ。

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建仁寺を通り抜ける時に見つけた、梅の花。もうすぐそこまで春はきている。

春は、いつも少しだけ緊張する。それはきっと、小さい頃から新学期や進学で新しいことが始まる季節だって刷り込みされてるからかもしれない。それに、終わりの季節でもあるから。

春は、終わりと始まりの季節。喪失感、寂寞、後悔。期待、希望、夢。両方が強く主張する。怖いけど、わくわくする。

私はもうすぐ大学生じゃあなくなる。社会人になる。

自分の選んだ道が果たして正しかったのか。失敗だったのではないか。始まる前から、いつも思う。この別れの季節を日本人が乗り越えられるのは、間違いなく春の美しさと、始まりのおかげだと思う。

梅や桜、牡丹、蒲公英白詰草源氏物語では、春を愛する紫の上が秋よりも美しいと語り、枕草子では春は曙が素晴らしいと語る。命が萌えいずるその瞬間から、終わりも始まる。春は、儚い季節である。

だから私はいつも思う。


少しだけ、春でいてください。


儚さも寂しさも、期待も希望も、少しでいい。少しでいいから、どうか春を無事に乗り越えられますように。

梅のほのかな香りが、春を連れてやってきた。