京都で女子大生していた

大学生してみて気付いた京都を紹介します

浮遊


今日は少し考えたことをつらつら。


仕事をしてみて、わたしはわたしが学生のころ考えていた仕事と現実の仕事が違うことに気づいた。

自分の思い通りにいかない、自分が出来ることは限られてる、向いてないのではないか、人間関係がなによりも大事。


まだ新人だしそらまあな、とも思うけど、わたしは自分が甘えていたんだなぁとも思った。

自分がすぐに使える器用で才能ある人材だとでも思っていたんだろうなぁ。なに考えてんだ。


そして、自分が苦しいのはもちろん、上司も、先輩も、苦しいんだろうな、と思った。自分も新しく部署が変わったのに教えなきゃならない上司、初めて後輩ができて教えなきゃならない先輩、なにもわからないわたし。それぞれがそれぞれで、苦しいことがある。考え方も、やり方も違うのに。

大きな団体になればなるほどその違いはでてくる。でも、大学のうちは責任が生じないから自分勝手に動ける。やりたくないことはやらないといって見ざる言わざる聞かざるができた。これが学生と社会人の大きな違いだと思った。

お金だよ〜お金だよ〜ほらほら苦しんで〜とお給料が笑う。


中には楽しんで仕事をする人もいる。その人たちと自分の違いはなんだろう。

もちろん環境も立場も違うし、考え方も違うだろう。だけど大きいのは、外的要因ではなくて内的要因だと思う。

満足できているかどうか。


わたしはつまり、満足できていない気がする。この仕事がやりたい仕事だったのかどうかもわからない。向いてる仕事かどうかもわからない。なにが成功で、なにが失敗で、なにが正しいのか。なにもわからない。他人の芝生は青く見える。それだけなのかもしれない。


それでも、きっと思う。あぁ、わたし浮遊してる。


ここじゃないどこかへと、いつも願う。


逃げなのかもしれない。


でも、それでも仕事をするのは、きっとそれが現実だから。わたしが選んだから。いつかまた、選ぶ日がくるまで、わたしは働く。


人生は全て選択で成り立っている。だからきっと今のこの仕事をすることもちゃんと意味があるだろう。知らないことをたくさん学ぶだろう。いろんな人と出逢うだろう。

だから、わたしは仕事をする。


だから、人は生きていく。