京都で女子大生していた

大学生してみて気付いた京都を紹介します

歩くNHK

こんばんわ。

昨日は成人式だったので、ドトールの窓ぎわで四条大橋を渡る振袖美人を眺めてました。ちなみに私は成人式、似合うからと日本髪を結わされました。リアル日本人形。


「歩くNHKみたい」

と笑いながら友人は言った。

どーやら、私と話しているとやたらと人生、生きる、役割、縁、幸せとは、などといった壮大な方向へ行くからだそうだ。確かに、最近そういうことをよく考える。

きっかけは就活だった。志望していた業界に全て落ちてしまってから、「わたしは何がしたいのだろう」「仕事ってどういうスタンス?」「わたしはどうやって生きる?」と夜通し考えたことがあった。そっから、私は無駄にそういう方面にポジティブになった。

仕事という面から、「どうしても私でなければならない仕事などない」と考えはじめた。これは完璧にマイナスからのプラス思考である。そこから、「どうしても私でなければならないのは母親だけだ」という考えに至った。そこから、「わたしの役割はちゃんと子を産み育てること」だと落ち着いた。

こうして書くとかなり壮大である。

でもあながち間違いではないと思う。女としての産まれたからには、子を産み育てるという役割は必ずついてくる。その役割を選択するかどうかは自由だし、もしかしたらその役割を選択出来ない方もいるだろう。それはそれで、また違う役割があると信じている。今のところ、その役割を与えられると仮定し、「わたしの役割はちゃんと子を産み育てること」だとした。


時は流れ、ひとつとして同じということはない。環境も、状況も、人の心も、必ず変わる。絶対なんてない。私自身も変わった。周りも変わった。転換期とは人それぞれで、変わる際に時には苦痛を伴うこともあるだろう。それでも、その変化を怖がることなく進みたい。

わたしは、自分がこんな風に考えるようになるとは夢にも思わなかった。就活で躓かなければ、大学で親元を離れなければ、友人に出会わなければ、愛し愛されることを知らなければ、わたしはこの考えに逢着しなかっただろう。


何が言いたいかというと。

歳を重ねるのは辛いこともあるが、未知の世界に触れることが出来て面白いこともたくさんある、ということ。

まあ、まだまだ22歳ですが。笑

成人の日ついでに考えてみました。


これからも、しなやかに生きていきたい。