京都で女子大生していた

大学生してみて気付いた京都を紹介します

古典をやること

こんばんわ。明日はゼミです。なにも出来てないです。怖い。


今日、ゼミで枕草子のレジュメを作っていて感じました。

なんでわたし古典好きなんやろ。


遡ること約10年前。たまたま家にあった「あさきゆめみし」を読んで源氏物語にハマり、中学で枕草子徒然草に出会い、現代の作家さんの訳した古典作品を読んで、わたしはハマったわけです。


教育実習で古典嫌い!ていう子が多くてビックリ。でも、確かに、わたしも文法嫌い笑じゃあ、なんで?


2年前の大学2回生の秋頃。夕方に洗濯物を取り込んでたら、東山の夕日、カラスの鳴き声。

あ、枕草子の秋は夕暮れだ。

その瞬間、私の中でなにかが決壊して、ドバーーーっと涙が溢れました。


あぁ、同じだ。私はいま、清少納言と同じ景色を見てる。千年も前の人と同じように感動してる。


もう、それだけで、私はゼミで中古文学をやろうと、そう思いました。


なんで古典勉強するの?

そう聞かれたら、なんて答えるべきなのか。答えはないと思います。けれど私は、

じゃあ知りたくないの?

と聞き返します。千年以上も前の人々が何を見て、何を感じ、どのように人を愛し、国をつくっていったのか。

知った先に、共感や感動が必ず得られるのに、それを自分から避けてしまうのはもったいない!!

千年も読まれてきたのには、きちんと訳があるのです。共感し、感動し、知らないことを発見し、新しくつくってゆく。文学にはその力があると、私は思います。


そうして、私はパソコンを開き、前回のレジュメや文献をもとに新しくレジュメを作成します。

清少納言さん、私のこの意見は間違っていますか…?教えてください…


多くを語らない古典文学。そこにはやはり、日本の「余白の文化」があるのです。想像してごらん?とゆう、奥ゆかしさと共に茶目っ気溢れるドSな作者たちのほくそ笑む姿が目に浮かびます。


さ、がんばろ。