京都で女子大生していた

大学生してみて気付いた京都を紹介します

日本文学

いますごく気持ちが高まってるので真面目に熱く書きます。


ドナルドキーン先生の日本文学のテレビをみて、すごく、すごく嬉しくて泣きそうになった。


私は国文学を学び、卒論も枕草子です。私は読書が好きで、源氏物語の華やかな世界が好きで、国文学科に入りました。

でも心のどこかで「国文学を学んでどーするんだろう。世の中の役に立たない。」と思い続けてて。

でも、文学は世の中の役に立つのかどうかではなく、もっと深い、もっと奥の、心や時間や感覚のところで人に影響を与え支えるものであると、やっとはじめて気づきました。わたしは今まで、そんなことも気づかずにいたのかと、すごく悔しい。すごく哀しい。


ドナルドキーン先生が、

日本の文学は世界の文学だ

と言った時、自分の選択は間違ってなかったと、本当に思いました。京都で、この大学で、国文学を学んできて本当に良かった。最高だったと胸を張って言える。


日本文学だから感じる曖昧さ、儚さ、潔癖さ。どこか凛としていて、読者に考える余白を与える高潔さ。


わたしは日本文学を学んできて、こう思うようになりました。


日本文学を学ぶことは、学ぶことの始まりであり終わりである、と。


まだまだこれから。

ずっと学び続けることのできる学問です。