京都で女子大生していた

大学生してみて気付いた京都を紹介します

大人になれなかった


「社会人になったら、学生時代の友達となんて疎遠になるよ、特に女は。」
母は伏し目がちに、そういった。

わたしは自分がしたことで、1人の友人を失った。信頼という意味で言えば、周りの友人もどれだけまだわたしを信じてくれているかも怪しい。それでも、「わたしはちゃんと好きだし分かってるよ」て言ってくれる友人もいる。

失ってしまった友人のことを大切していると、考えるだけ考えて、考えるばかりで行動しなかったわたしは、本当の間抜けだ。
届かなかった言葉は言わなかったのと同じことだ。

さぞかし彼女はわたしの弁明に苛立ちをおぼえただろう。わたしだってわたしの弁明に腹がたつ。

学生時代から、彼女のことを好きだし大切に思っていたけれど、彼女の強さ、彼女の奔放さ、彼女の正しさが、時にわたしには苦しかった。
「できるかできないかじゃなくて、やるんじゃないの?」
と怒る彼女の言葉は、きっと正論だった。だけど言いたい。あなたはできても、わたしにはできなかった。清く正しく美しくだけでは生きていけないのだと、声高に叫びたい衝動に駆られた。

それでも、彼女は圧倒的に強くて脆く、わたしは圧倒的に弱くて愚かだった。わたしはそんな彼女に勝ちたかったのだと、気づいた。

わたしの愚かなエゴと自己愛で傷つけた彼女は、笑っているだろうか。ちゃんと眠れてるだろうか。
もう二度と会えないだろう彼女の、幸せを遠くで願うしかない。それすらも、迷惑だろうけど。

強くて脆く正しい彼女は、確実にわたしにとって敵わない友人だった。

さようなら。
幸せになってください。

選択


今日はつらつら書きます。


自分が選択したことで、大切な人を傷つけてしまった。相手が傷つくことを分かってて、それでも自分の気持ちを優先してしまった。

それでも許して欲しくて、甘えて弁明してしまった。彼女は私に真っ正面から向き合ってくれたのに。


すべて、わたしの選択から起こった出来事。

わたしは、自分の選択が彼女を傷つけると、ほんとうの意味でわかっていなかったのだと思う。

逃げて、逃げて、逃げて、大丈夫だよ、許してくれるよ、そう言ってもらいたくて、逃げて、逃げて、逃げて。

本当に弱かった。


それなのに、彼女は逃げることなく向き合ってくれた。それなのに、まだ逃げようとする自分がいた。わたしは本当に不器用で弱いと思った。逃げられるなら、逃げたいと思ってしまったから。


全てはわたしの逃げたいという気持ちが引き起こした悲劇だ。


人生を舞台に例えると、きっとわたしの周りの友達や家族や恋人という観客は、わたしがあまりにも甘えたで愚かであると、思うだろう。たいした度胸も、たいしたこともできなくて。なにをいまさら。なにを。いうのだ。おまえは。と。


逃げて逃げて逃げたその先にあるのは、破滅しかない。

人間関係において、逃げるが勝ちは、存在しない。


これから出来ることは、逃げることなく、怒る彼女、わたしを捨てる彼女から、逃げずに向き合うことだと、そう思った。


帰京

こんばんわ。

GWに休んだらもう二度と働けないんじゃないかと思いながらゴロゴロしてます。


GW、相方に会いに大阪へ。そして流れでお互いの青春の地、京都へ行きました。いえす、帰京!


まずは出町柳

思い出の地、大学へ。

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新歓の季節ですねぇ。柔道部の新歓している道着の大学生に群がる外国人観光客。チャラいテニサー。誰も寄り付かない民俗芸能サークル。

キャンパス内にいる学生をみて相方が「いや、俺が言うのもなんやけど、改めて卒業してからみるとファッションセンス壊滅的やな…」とのこと。まあ、そんなもんだ。


そして法然院。相変わらず緑の美しいお寺。謎の鳥の鳴き声が始終聞こえた。藤が美しかった。


特別公開の安楽寺へ。初めて入った。つつじが咲いていて美しい。子が堂内をハイハイしてて微笑しい。松虫姫、鈴虫姫が眠るお寺。浄土宗の説法を聞い出家した松虫姫と鈴虫姫に思いをはせて。


御池大橋を渡りながら鴨川を眺める。すごくいい天気。青い春を思い出しながら渡る。

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スマート珈琲でホットケーキ。有名で一度行きたかった場所。相方オススメのカフェ。近年のエッグスシン◯スやらのパンケーキと違って、ホットケーキ。懐かしい、そして丁寧な味。

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バターもメープルシロップもすごく素朴でなんだか安心する味。幸せ。こじんまりしたアンティークの薄暗い店内。こういうお店があるのが京都だなぁ。


久々に帰京したら、やっぱり懐かしくて全てが愛おしかった。

京阪電車も、鴨川デルタも、新歓も、大学も、哲学の道も、錦林車庫前のバス停も、三条大橋も、御池大橋も、寺町商店街も、京都市地下鉄も、全てが愛おしい。

離れてもこうやって少しずつ帰京できたら、ほんとにほんとに嬉しい。


社会人になったいま、京都にいる大学生に言いたいのは、今いる環境がどれだけ素晴らしいかを噛み締めて時を大切にして過ごして欲しい、ということ。

友達と鴨川で語ったこと、カフェで勉強したこと、お買い物したこと、お寺で感じた静かな空気、初めて手を繋いだ場所、抱きしめられた場所。

甘酸っぱい記憶ばかりの、この京都は、わたしにとって本当に本当の宝物。

浮遊


今日は少し考えたことをつらつら。


仕事をしてみて、わたしはわたしが学生のころ考えていた仕事と現実の仕事が違うことに気づいた。

自分の思い通りにいかない、自分が出来ることは限られてる、向いてないのではないか、人間関係がなによりも大事。


まだ新人だしそらまあな、とも思うけど、わたしは自分が甘えていたんだなぁとも思った。

自分がすぐに使える器用で才能ある人材だとでも思っていたんだろうなぁ。なに考えてんだ。


そして、自分が苦しいのはもちろん、上司も、先輩も、苦しいんだろうな、と思った。自分も新しく部署が変わったのに教えなきゃならない上司、初めて後輩ができて教えなきゃならない先輩、なにもわからないわたし。それぞれがそれぞれで、苦しいことがある。考え方も、やり方も違うのに。

大きな団体になればなるほどその違いはでてくる。でも、大学のうちは責任が生じないから自分勝手に動ける。やりたくないことはやらないといって見ざる言わざる聞かざるができた。これが学生と社会人の大きな違いだと思った。

お金だよ〜お金だよ〜ほらほら苦しんで〜とお給料が笑う。


中には楽しんで仕事をする人もいる。その人たちと自分の違いはなんだろう。

もちろん環境も立場も違うし、考え方も違うだろう。だけど大きいのは、外的要因ではなくて内的要因だと思う。

満足できているかどうか。


わたしはつまり、満足できていない気がする。この仕事がやりたい仕事だったのかどうかもわからない。向いてる仕事かどうかもわからない。なにが成功で、なにが失敗で、なにが正しいのか。なにもわからない。他人の芝生は青く見える。それだけなのかもしれない。


それでも、きっと思う。あぁ、わたし浮遊してる。


ここじゃないどこかへと、いつも願う。


逃げなのかもしれない。


でも、それでも仕事をするのは、きっとそれが現実だから。わたしが選んだから。いつかまた、選ぶ日がくるまで、わたしは働く。


人生は全て選択で成り立っている。だからきっと今のこの仕事をすることもちゃんと意味があるだろう。知らないことをたくさん学ぶだろう。いろんな人と出逢うだろう。

だから、わたしは仕事をする。


だから、人は生きていく。


五月の花

はい。

気づけば時が流れてゆくよ。あっという間に4月22日です。


この間、相方が「初めてデートしたのってこの季節ぐらいだよね」と言い出し、あぁだからこの季節好きなのか、と思ったわけですが。


この季節は緑が美しい。

高瀬川沿いの躑躅鴨川沿いのヤマブキ、大学までの坂の葉桜。そして、初デートの地の宇治の藤。初デートは宇治でした。ゴールデンウィーク。なつかし!平等院の前の藤棚でのんびりしてたの思い出すなぁ。

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子供の頃、ゴールデンウィークには南アルプスの別荘に行くのが定例で、少し残ってる山桜や花桃躑躅芝桜、藤、桐を見るのが好きだった。淡い緑よりも濃い緑が増えてきて、お日様の光を浴びて照り映える。そこに白や紫やピンクが見えて、美しさと生命力を感じる。吹く風もかぐわしい。


岡本かの子の「五月の朝の花」の

 その時、日本の五月の朝の中空には点々、点々、点々、点々。細長いかっちりした薄紫の鈴――桐の花です。お洒落でつつましやかで、おとなしくてお済しで、群っていても実は孤独で、おっとりしていてもなかなか怜悧で。しのびやかにしかもはればれと桐の花。』

という一節をよんで、母が「あなたは桐の花みたいね」と言った。最初は「なにそれ??」と思ってたけど、今はなかなかわたしも桐の花みたいだと思い始め、はればれ。


「今年は躑躅の特別公開に行こうか」と言う相方に、「ねえ、桐もみたいから、軽い山登りもしよう?」と言った。


五月の花は美しい。


歎異抄

へい。みなさんこんばんわ。

お仕事始めてから一気に老けたよ。腰も痛いし眠いし化粧とかしてる場合じゃないしでなんだかBBAだよ。


仕事から帰ってきてNHKをつけたら、「100分で名著」で歎異抄をやってて思わずみちゃいました。

歎異抄

実は序章から十章までほぼ憶えてるんですよね。なぜかって、大学の寮で毎朝読むんですよ…みんなで…怖すぎ…おかげて歎異抄に初めて触れたし、理解することができたわけです。ええ。

有名なのが悪人正機説

悪人こそが阿弥陀様の救いの対象であるってやつ。善人なをもって往生をとぐ、いはんや悪人をや。

阿弥陀様の本願は人々を救うこと。だから阿弥陀様は悪人=貧しいがゆえに罪を犯す人を救うことも本願である、と。


わたしはここでふと思い出す。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」。わたしはこれの絵本を読んでぞっとした。のに、これだと地獄がないことになる。ううーむ。まあ、全部人間が勝手に考えたことだけどねぇ…笑

実家は仏教だけど、知り合いはキリスト教だったし中高共にロシア正教だったので、本格的に仏教思想を学ぶのは初めてで、なかなかいい学びだったなぁと思います。


とゆうことで、よかったらNHKみてみてください。新たな考え方が出来る様になるかもしれません。

春の京都


昨日はなんと!御釈迦様の誕生日!花まつり花まつりだ!!仏教系の大学卒なのでやたらこーゆーことに詳しいぞ!!!


てことで、春の京都のオススメをご紹介します。

鴨川

まあ、私にとって年中オススメなんですけどね、ええ…笑やっぱり鴨川沿いは桜や柳やユキノシタや山吹が咲くので美しいし、春になるとお散歩したくなるから鴨川沿いは大好きです。


②宮川町、先斗町

春になると都をどり鴨川をどりがあります。舞妓さん芸妓さんが舞をまってくれたり、お芝居してくれたり。それの宣伝もあり、ぼんぼりが都をどり使用になって特別感がすごいです。


円山公園

そう、円山公園の枝垂れ桜!はもちろんのこと、新歓やサラリーマンのお花見がすごい笑みんなブルーシート敷いてお酒飲みながら花を見ながら笑顔えがお笑顔。こんなにたくさんの人が笑顔なんだから日本は平和だなと思います笑


平野神社

桜の名所ですね。平野神社は少し上の方にあるので、桜がゆっくり楽しめますし、観光客も少なめです。よい。


⑤女坂

某女子大にゆく坂道のことです。実はここめちゃくちゃ桜並木なので、女子大生と桜が見たい方はここがオススメです笑


与謝野晶子が「清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵会う人みな美しき」と詠んだ通り、やはり春は祇園や八坂さんがより美しい季節なんだと思います。わたしも共感!!


舞妓さんや芸妓さんのお着物がより鮮やかに、髪飾りが華やかになるこの季節。

やっぱり春の京都は祇園、かな?